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京都壬生寺の人たちから、斬られていった土佐の浪人たち~三菱グループ創業者 岩崎弥太郎の生涯 その三 ~

~三菱グループ創業者 岩崎弥太郎の生涯 その三 ~

 

こんにちは。コハルストック講師の河端です。

幕末の京都は過激な浪人たちが
集まってきていた。

 

徳川幕府に不満を持つ勢力

長州・土佐を中心にして、過激な尊王攘夷
(幕府なんぞくそくらえ、天皇を中心に外国人やっちまえ勢力)

 

勢力が京都の町を牛耳るのである。

 

 

と歴史上から見れば、

革命前夜の嵐であるが、

 

京都の人たちからすれば、単なる汚い浪人が

町を荒らしまわっている

としか見えない。

 

幕府は京都に守護職を置き、

京都の治安維持に乗り出すのである。

 

京都の治安維持を目的に

ここにかの有名な

「新撰組」が結成されるのである。

 

 

この時代、250年の泰平で武士は

もう力が抜けていた。

 

目には目を、歯には歯を!

 

浪人には浪人の力「新撰組」の結成である。

 

京都・壬生寺に屯所があったことから

「壬生浪士隊」とも呼ばれた。
(通称 ミブロ!)

そんな時、長州勢力が、

京都を追い出されるのである。

 

薩摩藩の陰謀である。

 

この時から尊王攘夷運動は転機を迎える!

尊王攘夷派は京都から追いやられるハメになる。

 

皆帰国し、散り散りになる・・

 

代表格である長州人は

長州藩に泣く泣く帰国・・

 

他の藩士も地元の藩に一旦退くのだが・・・

なんと土佐の郷士たちは帰る場所が

なかったのである!

 

土佐の大殿様 山之内容堂が

コロッと態度を変え

 

藩士(郷士)を処罰しだすのである!

京都で活躍していた

土佐の郷士を捕え、拷問、切腹。斬首。

 

そんな中、土佐の郷士の若きリーダー

武市半平太にも帰国命令がでる!

土佐の勤皇党の連中は

 

次々と処刑されていくのである。

 

「土佐に帰れば殺される・・」

 

帰国せず京都に残った土佐の郷士たちは

次々と「新撰組」から狙われる。

ちなみに新撰組で、よく時代劇で登場する

 

「池田屋の階段落ち」

 

近藤勇に斬られて

 

階段転がったのは土佐人である!

 

新撰組が斬ったのは

長州人が多かったのではなく

ほとんどが土佐の浪士たちなのである。

(明治政府が成立して政府内官僚などに

土佐の郷士がほとんどいなかったのは、

極端に幕末に斬られた人間が多かったからである。)

土佐藩の役人にも狙われ、新撰組にも狙われ

 

土佐の浪士たちは逃げ回るしかない・・。

帰るも地獄、残るも地獄なのである。

岩崎弥太郎は土佐勤皇党とは関係ない

友達でもない・・。

 

この男に友達などいない

貧乏すぎるのと地下浪人なので

 

そんな郷士たちよりも、もっと見下されているのである・・・。

そんな中、岩崎弥太郎は土佐で、材木売る商売をしだすのである。

 

高知城下は災害で潰れた家が多かったからである。

 

しかし売れない・・。

 

まったく売れない・・

 

借金だけがのこり、まだ貧乏のどん底なのである・・。

しかしこの時期この男は気付いたのである。

 

差別の塊の土佐藩において

唯一平等なのが、「カネ」であることに

どんな人間であれ、「カネ」が欲しい

 

「カネ」がなければ皆苦しむ、

 

「カネ」があれば人を支配できる・・

人はカネの元では「平等」なのである。

 

弥太郎にとってはよだれの出るほどの

魅力である!

・・・・・・・・・

弥太郎は木材を買い取ってもらう代わりに

家の修繕をするという今でいうところの

「サービス付き商売」を始めるのである。

考えてみれば、災害が起き家の人はいつもより忙しく大変な思いをしているのに、

材木だけ売っても売れるわけがない

 

人の必要なものをサービスでつける!

今では確立された理論であるが、

 

当時武士がそのようなことをするなど

発想のかけらもない!

 

弥太郎は生まれて初めてモノを売ること

を成功させるのである!

はーい 成功しました!めでたしめでたし!

と・・・ なるわけない!!

みなさまご安心ください!

これからこの男はもっとギトギトの

 

修羅場がまっています!

この男の 波乱万丈人生はこれから

である。

~次回へ続く~

 

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